「いじめられっ子でニートだった」ダメ営業マンが、1億円売上をあげて、全社トップになったストーリー

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元々、人見知りで克服しようと
もがいたた10代…

就職に失敗して
思い通りにいかず、
すべてが嫌になった21歳

僕はニートになりました。

昼に起き、ゲームセンターに
夜中までいて、帰って寝る日々。
もうすべてが絶望でした。

それでも、

人に喜んでもらう事を
諦めきれずに、営業の道へ

お客様と話す事、
出会うことは嬉しかったが、

スパルタ系の会社に入社し、
職場に馴染めなかった。

結局成果も上がらず、結局クビに
2度目のニートに逆戻り。

そんなポンコツ人間の僕が、

それでもお客様に笑顔を見たい!
喜ばれたい!
人を支えられる人になりたい!

そんな思いや夢を持ち続けながら、

年間1億円の売り上げる事ができた

驚きのストーリーとは…

ども、はじめまして!

のーずと申します。

悩める初心者営業マンを救う!
売上300%アップする方法

を普段は発信しております!

簡単に自己紹介させて頂きます。

元ニートで、スノーボード大好きな
元家電屋の店長です。

元々は、

能力なし、人徳なし、才能なし
のポンコツ人間でした。

それでも、販売
という仕事を通して、
多くのお客様に喜ばれ、

年間1億円の売上を達成する事
ができました。

すごくざっくりと
してしまっていますが、

なぜ、ニートが年間売上
1億円を達成できたか。

それを赤裸々に公開ちゃいます。

僕の人生は
いつも裏目に
出てばかりでした。

人のために
という気持ちから、
自分が我慢すればと思い、
人目を気にして耐える事が多かった。

自己犠牲と言えば聞こえが良いが、
ただただ都合の良い人で
損をする立ち回り。

なので、当然
人付き合いなんか
うまく行くわけもなく、

孤立してしまう事も
多かったです。

でもでも、
僕は変われたんです。

ほんの少しの考え方で、

「多くのお客様に喜ばれる事」
「多くの人を笑顔にする事」
「自分が幸せになる事」

これが、すごく
近くにある事にも
気が付きました。

正直、自分の
過去を振り返る事は、

すごく恥ずかしい事で、
悩みましたが、

僕のよう悩む人のために、
なにか変わるキッカケに
なればと思い、

今回過去を話す事
を決意しました。

人が成果を出すのに、
「年齢、経歴なんて
 関係ないです」

なぜなら…

就職に失敗して、
ニートになって、
クビ宣告2回された
僕でも、

多くお客様に喜ばれて、
売上1億円をあげる事

が、できることが
できたのですから…

人見知り、人と接する事が苦手になった原因

お恥ずかしながら、
初めての集団生活
の記憶は…

もうすでに、
いじめられっ子でした。

幼稚園の頃から
鼻たらしでした。

僕は生まれつき
慢性の鼻炎持ちで、

鼻水をいつもたらして、
すすっていました
(某アニメのぼーっとした
子みたいに両方の鼻から…)

それが原因で、
いじめがスタート。

最初はクラスから、
そのうち同学年、
最後は上級生が、

鼻たれの事で悪口を
言いにくるくらい、

有名ないじめられっ子

になってしまいた。

それは小学校になっても
終わる事なく、
クラスメイトからの
無視は当然、


ベランダを
締め出されたり、

クラスいじめっ子
グループに
校内を追いかけ
回さられ、

トイレの個室に逃げれば、
上から水かけれれたり。

ま、とにかく

典型的なイジメられ子
でした。

家庭は父は会社員、
母は専業主婦の
ごく普通の家庭。

特に父親は
厳しく、小さい頃から
大手に入って
一生安泰するように

と言われていて、
とにかく勉強だけは
するように
言われました。

今思えば、
僕の事を考えての
発言だった思うのですが、

当時の僕には、
だた苦痛でしかなく、
それでも言われた通りに
していました。

学校ではイジメにあい、
家では厳しくされていた。

とにかく被害がないように、
イジメられないように
言われるままに生きる。

そんな感じでした。

楽しかった事は、
自転車に乗りながら
歌を大声で歌うこと。

理想の自分の世界を
妄想しながら、
一人芝居をすること

危険な香りしかしない
ヤバめの子どもですね。

唯一の自慢は、
運動神経が良かった
ぐらいですかね。

特に、徒競走は
学年が上がるたびに、
そこそこ速くなって
いきました。

小学校6年に
なる頃には、

学校では誰も
追い付けないくらい
速くなってました。

市内の大会でも
表彰されるくらいまで。

だから、中学では
本当は野球を
やりたかったけど、

周り人に進められるがまま
陸上部に入部しました

中学でのぶっとんだ出会いが、初めて人生に希望が持てた

そんな妄想
いじめられっ子も
気づけば中学生に。

そして、周りに流されて
言われるがまま、
陸上部に入部。

でも、そこの部活で
今後の人生に大きく影響する
出会いがありました。

今まで我慢する事で、
イジメられないように
周りに言われた通り
に生きてきました。

発言も人に合わせる事で、
標的にならないよう
にしていました。

(結果、あまり意味は
なかったですが…)


そこで出会った
僕とは真逆の先輩…

とにかく自由に
やりたいように
生きていました。

発言も行動も、
誰に対しても
言いたい事は言う!

先生、先輩、女子!
自分が思った事は、

何言われよう
と言っていく。

とにかく強い人で
絵にかいたような

僕にとってのヒーロー

みたいな人でした。

すごく根は真面目な
人なのですが、

人生を実験している
みたいで、
行動がとんでもない。

テスト受けなくないと
無記名で0点を
取ったと思ったら、

次の定期テストでは、
100点を取ったり、

「そんな事をすると
 人はどんな評価をするのか」

とか言って、
なんでも面白がっては、
人を困らせている先輩でした。

また、ある時に
部活の仲間が、

近くの中学生に
財布を奪われた

という事で、

それを一人で
取返しに行ったする
正義感の強い人でも
ありました。

しかも、
どんな状況でも
笑顔を忘れずに、
良く言っていた言葉が

「とにかく今を楽しめ。今しかない」

と言っていました。
ただ、そんな先輩
にも目標があり、

海外の某有名な
大学に行く!

という事でした。

またそれも意味不明な
行動で入学するらしく、

地元の普通の平均的な
公立高校から、
その海外の有名大学
に行くと。

ありえない
方法で行きたい
と言っていて、

結局地元の
公立高校から

海外の有名大学に
行ってしまって、

そのまま研究員
にまでなっていました。

とにかく規格外の
ぶっとんだ先輩でした。

でも、すごく
心優しい人で
僕の事も
かわいがってくました。

だから、

凄く憧れていたし、
自分もそうなりたい
と思ってました。

その先輩から
教わった事は、

「とにかく行動をして、
 色々試してみる」

「人の見えない所で、
 死ぬほど努力をして、
 普段は涼しい顔をしている」

そんな事を学びました。

そんな先輩に、
いつもくっついて
いたのと、

そんな思考が
変わりはじめたのと、

元々一人芝居が
特技でしたから
そんな妄想壁
がマッチして、

中学時代の僕は
少しだけ良い方向に。

そんな先輩に影響
を受けてしまって

なんとなく入った
陸上部で、
ただやるからには

「全国大会に行く!」

という目標を
持った僕。

部活内に敵なし
だった僕は、

まずは意識の
高い環境で
練習をしたい
という事で

競えるライバル集め
をしました。

学校内や他の部活
を周って、学年で
上から3人足の速い人を
他の部活から引き抜いて、

口説き倒して、
元々の部活
を辞めさせて、
陸上部に入ってもらう。

謎の自信と行動力を
発揮しだしていました。

目標達成のために
仲間から集めるとか、
漫画見たいな事
をしてました。

また、
発言も自信に溢れて、
なんでもデキる!
と思ってしまっていました。

常に全国に行く
と言っていたり、

学校で書く恥じらい
もなく、書初めに

「全国制覇」

と書いてしまうくらい、
先輩の影響を
モロに受けて

周りも気にならなく、
己を信じていました。


そして、
中学3年の頃には、

見事リレーで
全国大会出場
果たしました。

これは、純粋な
田舎の公立校が
全国大会出場する
というのは

県内でも
異例の快挙でした。

ぶっとんだ
先輩の背中を
見ていたお陰で、
結果が出ました。

結果的に
色々な高校から

「うちに来ない?」

と推薦での声を
頂きましたが、

ちょっと自分も
先輩みたいになれる

と思って勘違い
したんでしょうね。

カッコつけて
地元の普通の
公立高校に
進学しました。

しかもその
中学の頃の
自信過剰なノリと
勢いのまま、

高校生に進学。

それが、人生逆戻り
の始まりになって
しまいました。

積み重ねきたものが、音を立てて崩れていく日々

元々、何もできない
いじめられっ子。

先輩のおかげで、
少しは変われた
だけの話。

自分ひとり
では何もできない
中身は空っぽな人。

高校では中学時代
の勢いやノリは、周りから
煙たがられるハメに。

無駄な正義感や
自信などは嫌われ、

高校に入ると、
また気づけば
いじめられっ子に逆戻り。

ギャル全盛期の時代で

「ダルい」

が主語みたいな
時代でしたから、

そういった
「やればデキる!」

みたいな感じヤツは
うざかったん
でしょうね。

しかも、見た目は
長髪、黒髪、眼鏡。

また、どんどん
自信をなくし、
勉強もどんどん
追い付かなくなって、

気づけば学年で
下から2番目に、
なるくらいの
落ちこぼれっぷり。

しかも、ワースト1は、
留年生で学校に来てない、

実質1位の状態!

部活も陸上は
続けていましたが、
周りのやる気や熱量が
それほど高くなく、

それに流されて、
中途半端になって
いきました。

そして、今度は…

クラスのギャルたちに
イジメられていました。

教科書はなくなるし、
鞄蹴られて、
お弁当ぐちゃぐちゃになるし、

親から貰って
大切にしていた
CDプレーヤーを
壊されました。

ただ、それでも
学校には通いました。

小学校の頃も
そうでしたが、親を
心配させたくなくて、

学校にだけは
行くように
していました。

そんな自分でも
進路の時期に
差し掛かり、

ささやかながら
夢がありました。

「小学校の先生になりたい」

自分のような人が
少しでもいなくなれば
良いと思って、先生になる。

そんな夢をもってました。
そのためには、
大学に行かなくては…。

しかし、この頃は
先生からのあたりも強く

「お前の頭では、大学は無理。
 専門学校もいけるか怪しい」

と面談のたびに
洗脳するかのように
言われて、

完全意気消沈。

早々と大学進学を
諦めてしまっていました。

とにかく目立たないように
過ごす日々。

当然、人の前に
出るのがイヤでしたし、

人見知りというか
人間不信とかで、
周りが見えずに
それくらいまで、

自分の事しか考えない
人間になっていました。

また、人をうらやんだり、
嫉妬したり、それくらい

心の狭い人間に
なっていました。

それでも
唯一の楽しみは、
近所の幼稚園の
ボランティアに行くこと。

子ども話している時は、
すごく優しい気持ち
になれました。

親や先生からは
「向いてる」と言われ、
そのまま保育の専門学校に進学。

ここでも今までと同様に
「何がしたいか」ではなく、
「何ができるか」で
流されてしまいました。

専門学校での生活は、
それなりに楽しかったです。

バイトは人見知り
克服のために、
飲食店でホールスタッフ
をしていました。

その頃から、
お客様と接する事は
好きになっていました。

ただ、就職が近づいてきて、
児童福祉という分野、
給料面などで

現実を突きつけられて、
このまま就職するか
悩みました。

将来の事ばかりを考えて、
不安になって、迷って…

そんな時、
福祉関係の公務員
の募集を見て、

「これだ」と思い、
募集しました。

見事撃沈…。
不合格。

その時に、なんか、
真面目にいろんな事に
耐えてきて、
人に言われた通りに
してきたのに…

と、今考えると

「超他責思考」

ではありますが、
自分の中で何かが
プッツンなって、

人生をリセット
したくなりました。

初めての自分の決断がニートになること

人生のリセット…
ゲームみたいな
ボタン探しましたけど
そんなものもなく

何もしない事を選んで、
気づけばニートに
なってました。

それが21歳の時…
どんなに状況でも、

人のレールは踏み外さまいと
唯一の取り柄の真面目さが、
ここに来て崩れて
しまいました。


完全に自分を見失って、
思考停止状態に
初めて自分で
決断した結果がニート…

人生に絶望しか
持てない日々が
続きました。

あんなに楽しくて、
4年間続けた飲食の
バイトも辞めて、

そこからは、
絵にかいたような
ニートっぷり。

唯一の救いは
実家暮らしだった

という事でした。

ただ、両親に
顔合わせるのが辛く、
両親がいない昼過ぎに
音をたてずに

こっそり起きて、
特にやる事がないから、
そのままゲーセンへ。

特に目的なく、
メダルゲームで
閉店まで時間潰して、

寝静まったころに
実家に帰宅。

「メダルなくなったら、働く」

という自分ルール
を決めて、
過ごしていた。

しかし、メダルは
どんどん増えていった。
時間も腐るほどあった。

究極の自由を手に入れていた。
そして、究極の地獄だった…

なくなっていくもの
といえば、

「自分への自信とお金」

ばかりでした。


ある日、メダルゲームに
さすがに飽きて、

やる事なさすぎて、
古本屋をうろつき
出しました。

古本を買って、
昼から深夜まで

古本屋の隣のマックで
本を読んで…
そんな生活をしてました。

さすがに古本買って、
マックに行っての
繰り返しだったので、

お金もなくなってきて、
いよいよ全てが終わる
と思った時、

ある事をひらめきました。
古本屋で安く買った本を
違う古本屋で高く売れば
いいんだと。

お金を作る事を思いつき、
なんとか本買うお金と
マックに行くお金を
捻出していました。

その数200冊ほど
読んでいました。

今、考えると
その行動力、
継続性は違う所で
発揮すれば、

もう少しマシな生き方が
できたんじゃないかと
思いますけどね!笑

まあ、その当時の自分に
必要のないビジネス書、
自己啓発、小説…

インプットの鬼に
なってましたね。

「自分の人生には関係ない」

と遠い世界の、
夢の話しのように
読んでいました。

さすがに、
そんな生活にも
続くわけもなく、

とにかくお金が
欲しくなって、
そこからは狂ったよう
に働きました。

すぐにお金が手に入る、
日雇いの派遣のバイトに登録。

今度は休むのが怖くて、
暇になるのが怖くなって、

2ヵ月間無休で働きました。

休むのがとにかく
怖かったです。

昼夜問わず、
ひたすら働く日々。

今はダメですが、
朝7時から翌朝4時まで
など笑

今思うと。力の使い方を
いつも間違えてしました。

でも、ある程度お金も貯まり、
仕事に疲れたから
国内フラフラする事にしました。

スノーボードとの出会い

ある程度お金も貯まって、
今度は旅に出たくなり、
国内をフラフラしていました。

北は北海道、南は九州まで。

当時はスマホなど
なかったですから、
目的地も簡単に決める
方法もなかったので、

各駅の電車を
使って目的もなく、
色々な所を周りました。

綺麗な景色や、
おいしいもの
たくさん食べました。

それでも、
心はいつも
「不安」と「孤独」
でいっぱいでした。

一番綺麗だったのは、
山陰本線で見た
何気ない夕日です。

山に沈むという
どこにでもある風景ですが、
ゆっくりと山に夕日が
隠れていく姿が

とても哀愁があったのと、
キラキラしていたのを
今でも覚えています。

なぜかそれを見て、
涙が止まらなくなったのも
覚えています。

そして、その時に
吹っ切れました。

「どうせ何もないから、
 やりたい事をして生きよう」

「人生どうせ終わってるから、
 気楽に生きていこう」

そう思い、ずっと
やりたかった
スノーボードに
没頭しました。

人生で初めて
やりたい事
自分で選んだ
瞬間でした。

室内で一年中
滑れる所があったので、
その近くで昼バイトをして、
夜は滑りに行く。

そして、冬は山へ。
そんな生活をしました。

凄く充実していました。
仲間も増えたし、
できる技も増えてきて、

とにかく成長を
実感できる事が
面白かったです。

ショップにも
通って店員さんと
顔見知りになる
事もできました。

コミュニケーション能力の
高い店員さんで、
困った事があれば

相談にのってくれたり、
自分にあったやり方を
教えてくれたりしてました。

そのころから、
少しずつ物を売るという仕事にも
興味を持つようになっていました。

元々、先生に
なりたかった事もあり、

教えるとか困った人を
助けたいという所では、
共通していたの
かもしれません。

それでも、上達する
スノーボードを
プレイする事が面白くて、
没頭し続ける日々。

単に、スポーツとして
面白いという面も
ありましたが、

自分で決めて行動する事が、
こんなにも充実するのかと
初めて知る事ができました。

ただ、その頃は
全く自分の現状や先の事を
見てなかったですね。

中学の時もそうでしたが、
スポーツにハマると、
なんでもデキる気に
なってしまうんでしょうね。

そんなある日事件が…

いつも通り練習をしてると、

「お兄さん、うまいじゃん」

と後ろから声を
かけられました。

振り返ると…

身長が僕の半分
ちょっとしかない
小学生に声を
かけられたのです。

すると、その僕の
半分しかない少年は
僕を追い越して、

見せつけるように
僕より難しい技を
簡単にこなしていました。

もう衝撃でした!

そして、

その時にようやく気づきました。

このままスノーボードを続けても、

「これは趣味でしかない」
「この先は何もない」

という事に。

20代半ばにして
ようやくです。

自分の今いる現状が
非常にピンチな事に。

その時に、ようやく
普通の人の道に
戻ろうと社会人に
なる決意しました。

ようやく社会人として生きていく決意をする

ようやく自分自身の現状や
この先への不安が出てきて、
まともに仕事をする
決意をしました。

働き場に選ぶ余裕
なんてなかったですが、

「人の笑顔に会いたい」
「困った人を助けたい」

ここだけは、
どうしても譲れずに、
それを仕事にしたい
と思いました。

また、
ショップ店員に憧れ、
販売に興味も
出ていた事から、

スノーボードショップ店員、アパレル関係、
ブライダル関連、靴屋の店員など
色々な所に応募しては、
撃沈しました。

結局、やりたい職にはつけずに、

唯一、採用された住宅設備の
飛び込み営業でした。

父も兄弟の営業職だったので、
ようやく仕事を始める自分に

同じ職種につく事を
すごく喜んでくれました。

入社した会社は
新規の営業所の
立ち上げでした。

そのため、

ゴリゴリのやる気満々営業マン

がいて、社内の独特な
雰囲気に、なんとなく

苦手な意識をもってしまいました。

ただ、そこでは大切な事
を教わりました。

「決して、物を売りこんでは
 いけない。あくまで、自分を
 売り込んで気に入って貰えるように」

目から鱗の衝撃でした!

物売りになれば
成績は上がると
思っていたのに、

物を売るなと。

最初の頃は、
その言葉通り、
お客様と話す事が
すごく楽しんで、

気に入って頂く事を
意識できました。

それなりに色々試しながら
徐々に業績も上げて、

入社3カ月で営業所内で
成約件数トップになりました。

ただ、現実は
厳しいものでした

社会人経験もなければ、
ろくに働いた事もない
人間だったので、

日が経つにつれ
飛び込み営業の洗礼に、
いちいち落ち込んでしました。

お客様がピンポンしても
出てこなければ落ち込んで、
やっと出てきてくれて、
話した断られて撃沈し、

あげく
「セールスお断り見えないのか」
と怒鳴られては、
心が折れて…

ひどいときには、
胸ぐらをつかまれたり、
その他ここでは
書けない経験も…

その度にいちいち人のせい、
会社のせいにしては、
落ち込んで。

自分はダメだと思い込み、
上司や先輩に
相談のつもりが、

ただの不平不満、
愚痴になっていました。

そんな事ばかり
繰り返しているうちに。

次第に社内でも
煙たがられて、
浮いてしまう存在
になりました。

ダメなポンコツ根性なし。

というレッテルも張られて、
年下の先輩からは、
常に顎で使われ、

上司からも距離を
置かれてしまいました。

やがて、まったく契約が
取れなくなってしまいました。
そして、それが引き金となり

「クビ宣告」を受けました…

人生積んだ…

なんとも言えない
敗北感と絶望感。

そして自分の情けなさに
惨めな気持ちしか
ありませんでした。

最後に、一番
お世話になった上司に
ご飯に連れていって
もらいました。

いつも、叱られてばかりで
褒められた事なかったので、
すごく憂鬱な気持ちで
いきましたが、

その上司が、

「お前、いつも楽しそうに
 お客さんと話してたから、

 もっとやれると
 期待してたんだけどな。

 この職種は、本当に
 特殊だから、普通の人間には
 キツイと思うよ。

 でも、お前ならお客さんと
 対等に話せる営業や仕事
 だったら、活躍できるんじゃない。

 お互い活躍して、また会えたらいいね」

と、最後の最後に
褒めてくれ、

期待の言葉をくれました。

本当に嬉しかった。
そして、涙が
止まらなかったです。

その時に、

自分が諦めているだけで、

周りの人は本当は
自分の事を見てくれていて、

言わないだけで、
心配したり、
気にもかけてくれている。

全ては自分でふさぎ込んで、
勝手に受け入れないだけの
部分もあったんじゃないか。

「悲劇のヒーロー」
を気取って、周りを見て
なかったと気づきました。

もっと素直にやって行こう。

そう思えたのです。

「いつか活躍をして、
 また今度は笑顔で
 その上司に会いたい」

と決意し、お客様対応する
販売の仕事を続ける
事にしました。

クビ宣告から翌日から
2度目のニート生活スタート。

また、近所のマックに
逆戻りし、本を
読み漁っていました。

ただ、今度は
前回と違いました。

目標がありました。

「お客様相手の仕事で活躍をする」

そう思い、色々な
会社を面接しました。

いろんな職種を見て、
キラキラした
アパレルや美容系の営業に
憧れを持ち動いていました。

だた、唯一好きになれない
職種がありました。

家電量販店の店員。

ここだけは、どうしても
好きになれませんでした。

家電は好きで、
お店は楽しかったので、

いろんな家電量販店に
行ったのですが、

店員を好きなれない事が多かった。

「自分の知識をひっ散らかしてる」とか
「一人でしゃべってる」とか。

勝手な偏見でしたが、

オタクの陰キャがなる
職業だと思ってました。

ただ、色々と冷静に
考えて、家電には
やりたかった美容系もあるし、
衣食住全部に関われる職業。

「お客様の役に立てるじゃん」

気づいてしまったのです。

そして、自分が少しでも、
陰キャな先入観のイメージを

「自分が変えていけばいいんだ」

そう思い、面接を受けて、
見事採用となりました。

ニュータイプ家電販売員

になる事を決意しました。

調子に乗って、2度目のクビ宣告。

店舗初出勤。
とはいえ、家電の事は

全く無知でしたし、ド素人。

勢いで入社した事に
入社初日に気づきました。

担当は、テレビの販売。
挨拶もそこそこに、
お店オープン。

最初に先輩から
教わった事…

「困ったら、カタログ見て説明して」

………えっ。

何も知らない話しは
していたのですが。

まさか、いきなり一人で
お客様対応する事に
なってしまったのです。

最初は、話しは
聞いてくれるけど
買ってはくれない
事が続きました。

でも、訪問販売時代
のあの酷いお客様対応の
経験があったからこそ

相手にしてもらえてる
事自体が嬉しくて、
落ち込む事はなかったです。

初めて、商品を買って頂いた
お客様はご年配のご夫婦。
テレビを検討されていました。

先輩に言われた通り、
カタログ片手に必死に案内。

かなり時間は
かかってしまいました。


それでも、その必死な
姿をお客様が優しく
見守ってくださいました。

そして、なんとか
買って頂く事ができました。

もちろん、買って頂けた事は
嬉しかったのですが、それ以上に

「一生懸命やってくれてありがとう」

と、言って頂けた

この言葉が本当に嬉しかったです。

その時の達成感ややりがいは、
今でも覚えています。

すごく時間かかって
しまったのに、
あの温かい笑顔が
本当に嬉しかった。

汗だくで対応する
自分を気遣ってくれるなど、

お客様に助けられた部分
は多いですが、

それでも、お客様に
「ありがとう」と言って頂けた。

素直に一生懸命やってよかったな
と感動ました。

そして、前職で教わった

「自分を売り込む事」
の大切さを知りました。

そして、

入社3日目には、
店舗内の販売実績1位

になりました。

そこからは楽勝ムードだと
勘違いをして、
大した経験もないのに、
調子に乗ってしまいました。

そんなビギナーズラック
みたいな状態は
続くことなく、

次第に成績は
落ちてきました。

そんな入社3カ月経った頃、
当時エリア長だった
上司が来られて、

面談したいと
呼ばれました。

何度か話しはした事あり、
もの静かでしたが、
比較的話しやすい方でした。

なので、最近の調子の悪さを
心配してもらえるのかと
思っていました。

だた、実際の面談内容は…

「成績不信よるクビ宣告」

まさかの2度目!
一瞬で頭の中は、真っ白に!

本当に僕はあさっりと
切り捨てらるんだな。
と、またしても絶望感。

ただ、その上司は、

「君は本気ではない。
 だから、3カ月猶予を与えるから、
 本気を見せてほしい」

と、期待を込めてのクビ宣告で
あるという感じでした。

その後「一緒に来て」と
店内のトイレに行くことに。

トイレに呼び出しなんて、
ヒヤヒヤでしたよ。
なにをされるのかと…

しかし、そんな思いもすぐに
吹っ飛ぶことに!

スーツだった上司は、
なんとその姿のまま、
トイレ掃除を始めたのです。

仮にも、エリアを
取りまとめる人が
トイレ掃除をする。

意味が分かりませんでした。

ただ、理由を聞いて納得。

・人を嫌がる事を率先してやる事で、
 本当の意味で人はついてくる。

・人が見えない所、
 誰も気づかない所で
 努力をしてこそ、
 それが自分にも返ってくる

・全ての選択は自分で決めていて、
 それは誰のせいでもない

この理由を聞きながら
話していて、
気づけば一緒になって、
掃除をしていました。

中学生の時に、
僕のヒーローだった先輩と
同じ事言ってる。

そんな事を思い出
させてくれました。

長い間、それを
忘れてしまっていて

「人のせいにしたり、
 損得で考えてしまう自分」

が変わるきっかけに
なる考え方でした。

そして、上司は最後に、

「お客様のために、
 何かをするのでなく、
 お客様の立場に立って
 考えられるようになるように」

と、一言助言をしてくれました。


今までの自分は、

「誰かのために、役に立ちたい」

「誰かを笑顔にしたい」

と、いう思いばかりでした。

それって、
自分が人に何かを
教えてるとか、
優位に立つとか

「考え方が人に対してマウントを取る事」

だったんです。

大切なのは

「相手の立場に立つこと」

これは、相手が
どう感じるか
という事を考えて行動して、
相手と向き合う事で、

「相手と共感する事で一緒に笑顔になる」

という自分と相手が
同じ目線から色々な事を
考えていく。

初めて人は共感をして、
自分の行動に喜んでくれる

という事だと知りました。

ニュアンスと言う人も
いるかもしれません。

ただ、僕にとっては
それくらい大きな違いを
感じられる一言でした。

その考え方になってからは、
お客様に向かう姿勢はもちろん、
人に聞く姿勢も変わっていました。

問題が起きても、
誰かのせいにするのではなく、
未然に防ぐためには、

どうしたら良かったか
を考えるなど自分軸で考えて、
行動するという
変化が見れました。

クビ宣告から
その後はというと…

猶予期間3カ月目には、
月間売上1000万円達成し、

見事回避!

そして、エリアでも
目立つ存在になり
はじめました。

その後は、
仕事は順調で、
ほどほどにして
しまいました。

時間は有限で限りがあり、限りがあるもの

その後、ある事件が
起きた事で、
人生を見つめなおす
キッカケになりました。

昼寝をしていて、
ふと目が覚めた時に、
ニュースがやってました。

「外国で登山をしていた
 日本人男性が遭難して、
 遺体で発見されました。
 名前は………」

え…。

僕のヒーローだった先輩
の名前でした。

そう…
先輩が亡くなったのです…

すごくショックでした。
震えと頭が真っ白になりました…

でも、先輩らしいと
いえばらいしいとも思いました。

ただ、先輩は人生を全うして
生きていた事を凄く感じました。

それと同時に、
何気なく生きていた
自分に人生は無限に
ある思っていたのに、

「全ての事は有限である事」

を知りました。

「とにかく今を楽しめ。今しかない」

その言葉が頭の中を
めぐりました。

今は楽しいけど、
このままでは何も
成し遂げていない

今の自分は、
先輩に胸を張って
会えるのか。

いや、会えないよな
って思いました。

今の自分なら何が
できるかを考えました。

でも、自分のしたい事は…

「多くのお客様に笑顔になってほしい」
「お客様の生活が豊かになる手助けができたら」

お客様に喜ばれる事、
それくらいでした。

だったら、

年間1億円の売上を達成しててみよう!

正直、金額に関しては
理由はありません。

ただ、当時の従業員の
年間平均3000万円くらいの
売上でした。

だから、
「2倍でなく3倍やる事で自分は変われる」
と思ったのです。

そこからは行動を
加速させていきました。

「メーカーの勉強会には全て参加」
「皆が苦手とする新製品を率先して販売する」
「町を歩いていいるだけで、接客のヒントを探す」

など、とにかくやれる事を行動して、
失敗を繰り返して、
成果につなげていきました。

行動目標を1カ月から
1日単位まで落とし込む事もしました。

店舗での販売になるので、
がむしゃらにお客様に向かっては
他の人に嫌われてしまいます。

なので、そこは
「他のスタッフとのコミュニケーション」
も大切にしていました。

お客様にお客様を紹介してもらったり、

店舗の外でも良い口コミを
広げてもらう行動なども
意識していきました。

その甲斐もあり、
「ゆるっと年間1億円達成」
する事ができました。

すごく嬉しかったのと
達成感がありました。

ただ、それは

「金額目標を達成した」

という事より、

「日々の中でお客様と繋がりが持てたこと」
「たくさんの笑顔に出会えたこと」
「困った時に従業員同士助け合えたこと」
「繰り返しお客様が来てくれてということ」

多くの人と笑顔で入れる事や
繋がりができた事が
嬉しかったです。

まとめ

どんなに売上たてても、
どんなに周りに
スゴイと賞賛されても、

「人との繋がりに感謝できること、
 笑顔でいることには勝てません」

僕は、売上をやりあげる
大切さよりも、素直に人に
感謝できる事の方が
重要だと気づきました。

その後の僕は、
後輩を教えてる事に力を入れて、

店舗活性化や店舗の売上を
伸ばす事に貢献しました。

そして、社内でも
表彰されるようになり、

全社で1位になる
事もありました。

そして、順調に店長へと
なることができました。

今は、違う仕事をしており、
人助け精神が先行して、

知り合いの方に
「新しい所の立ち上げが
 あるから助けてほしい!」

という一言で、その職場で
人を管理する仕事
をしております。

「いじめ・ニート・クビ」

やってはいけない要素を
全て経験済みです。

本当に
「真のダメなポンコツ人間」
でした。

幼少期は、いじめられ、
いつも一人でした。

自分で決める事もできずに、
人に流されてばかり。
でも、人は出会いや環境に
よって人は大きく変われます。

現に、僕もどうしようもない
いじめられっ子が
中学時代に先輩に出会い

「人生を楽しむもの」
だと教わり、

上司には
「見えない所での努力をする
 事で人はついてきてくれる」

良い助言をくれた
良い出会いのおかげで、
多くのお客様と繋がり、

結果的に1億円という
大きな売上を達成できました。

本当に感謝しかありません。

でも、この感謝の気持ちが
あるからこそ、

次のお客様へと
感謝の気持ちが
伝わって行くの
だと思います。

人生のきっかけは
何気なく過ごしていれば
見逃してしまうものです。

なので、
当たり前の事を当たり前と
思わずに感謝して過ごすことで、
そのタイミングを見逃さずに、
自分でつかみ取る事ができます。

今、伸び悩んでいて
成果がでない

初心者営業マンの方、
売れない事ばかり悩み、
人のせいにするのでなく、

「人のせいにする選択を
 しているのも自分」

だと思う事で、
自分の周りには

誰が支えてくれている事、
素直な心、人に感謝する気持ちが

見えてくるはずです。

そうする事で、
次はあなたが、
多くのお客様に喜ばれて、
ゆるっと1億円達成できます。

ここまで、読んで頂き
ありがとうございました。

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